FBではなんだか和気あいあいとした雰囲気のなか(なのかどうかはわかんないんだけどw)



流れるタイムラインにはひどい話もいくつかあって。。



子どもを虐待する動画。海外の人のものなんだけど。。



これがこんなにも多いものなのかと、見るたび流れてくるたびに目を疑う。



瞬間、怒りが込み上げる。同時に、涙が出る。



思わず、



「その子を寄越しなさい、私が育てるから」



と書いてしまったんだけど。



ちょっと冷静になったあと、よくよく考えると無責任な言葉になるからそれは消した。



まだその気持ちはある。だからここにこうやって書いたんだけど。。




・・・やっぱり書いた。





見なければよかったんだけどね。。。



いつもは気にしないのに。



でも「現実」なんだよね、アレ。



ほんの一瞬だったのにね。見らずにはいられなかった。





・・・まだ2歳くらいの女の子でね。


お着替えでグズグズしてしまったんだろうね。。


でもお父さんがその子をつかんで引っ張って殴り倒して蹴ってエルボーして、


小さなカラダは軽々しくも吹っ飛んでいく。


そして大泣きしながらも、しっかり着替えようとしてる。


母親は泣きながら「やめて」とは言っているけど、カメラを持ってその様子を写してる。


つまり、その行為を見ているだけということになる。


・・・ただ、大の男が暴れているのを、女がそれを止めるのはとても勇気はいる。


勇気がいるというより、怖くて動けなくなる。




子どもというのは、大人の思い通りには動かない。



そんなことは当たり前なんだけど、親として、



それが本当の意味で分かるようになるまで、



いくらか時間は必要になる。。



どこの家庭も、自分の子どもの行動にはイライラすることはある。。



思わず八つ当たりをしてしまうことだってある。。



そのイライラや八つ当たりを、子どもというのは受けとめる。



純粋に受けとめるから、親はどんどんその罪悪感に苛まれて、



次第に丸くなっていく。。




虐待を映像で見てしまうとインパクトあるし、



やっぱり本能なのかな、、、、思わず画面に手が伸びてしまう。。



その子を助けにいかないと、みたいな。



どうにもならないことは分かってるんだけど。



当事者は感情的でそれもピークに達してるから、



冷静な傍観者である私たちのようには、その子を見てはいない。



でも私たちもそれを目の当たりにしてしまうと、冷静にはなれないのね。



怒りの矛先は、やっぱりそのお父さんの方にいってしまう。



お母さんにも、その矛先がいってしまう。



なにか事情があるのは承知なんだけどね。。



それにイライラしてしまうことだってよくわかる。。




だけどあそこまで。。




あそこまでやることはないでしょう。。。ホントに。




他のものではひどく出血をしているものもあった。。




どうしてそこまでやるの。






あの子たちには、ただただ、たくましく生きて欲しいと。








・・・私も小さいとき、わけがわからないまま母によく怒られたもんだ(笑)



で、外にポイ!ってされて泣き喚いて。。



あの動画ほどじゃないかもだけど、似たようなもんかな。



そりゃもう痛かったもん。バッシンバッシン叩かれて。



孫の手やらで。(そ、それ背中をかくやつよ?叩くんのとちゃうの。笑)



叩かれすぎて出血もあった。。ぜんぜんたいしたことはないけどね^^



そしてお隣さんがいつも心配して、こっそり家に入れてくれたっけ。。



あのときお隣さん、虐待って思ったのかな。





・・・泣き喚いて、私も負けじと玄関のドアをバッシンバッシン蹴ってたから、



ただ単にうるさかっただけなのかも知れないけど(笑)




それに、お隣さんで普通にごはん食べさせてもらってたし。




(お、超うめ~!おかわりっ!みたいな。笑)





ほとぼりが冷めたら迎えに来たけどね。




何時間も経ってからなんだけど、、、そりゃやっぱり迎えに行きづらいでしょうから。。




お父ちゃんがいるときはね、お父ちゃんが止めてくれるから平和だったんだけど。。



あのときは母も大変だったんだろうね。



なんかね、、、、、私の昔ばなしなんてどうでもいいんだけど、




親も子どもも一緒ですよね。




一緒。どっちも子どもだしどっちも大人みたいな。




ホント、大してかわりない。




唯一違うのは、大人はあらゆる選択が出来る、ということくらいかな。




その中でも、感情の選択。



イライラしたり、恨んだり、見返りを期待したり。



人の中で生きてても、それらを選択することは実は自分で出来るということくらいかな。。



お父ちゃんの言葉の受け売りなんだけどね。。



お父ちゃんは、



「どんなことがあっても人を恨むということだけはしてはいけない。



それだけは、自分のルールとして持っておきなさい。」



と。。




それでも恨むときは恨むけどね(笑)




だけどね、ルールのおかげで数日も経ったら忘れてる。




おかげでやるべきことに向いたり、好きなことに打ち込んだりできる。




多少はね。




そしてなにより、そのことで自分の可能性がみえてくるキッカケになるから。




私もつい最近そういうのを覚えてきた感じなんだけど、




・・・完璧じゃない。まだまだだなーって思う。。




それにさっきみたいな虐待動画なんて見てしまうと、




とっさに不安や怒りがこみあげて、元に戻るものなのよ。。。。(T_T)




ホントそれまで(アッガイとかザクとかで)楽しかったのに、




一気にこんな感じにブルーになるよ。








いつかそういった子たちを受け入れられるようなところ、




頑張って作るよって、改めて思った。




生きてく「自信」や「楽しみ」を少しでも持たせてあげられるように頑張る。




もうちょっと待ってて。




もうちょっと今の場所でやらないといけないことがあるから。




(今の場所でも出来るでしょ?て言われそうね。)





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ありのまま、その人を愛するには大きな時間が必要。




相手のすべてを受けいれてあげるには、




誰に対しても無償の愛情を注いであげられることもまた必要になってくる。




愛情は合理性や数値、理論(屁理屈)なんて、ちっちゃいことにしかならない。。






もし、どうしても子どもを叩いてしまうようなら、、、




その子が寝ているときでいいから、しっかり抱き寄せて、




心の中でいいから、せめて謝ってあげるといい。。。




それを毎日毎日続ける。




そしたらね、イライラすることはなくなるし、無償の愛情を注げるようになれるよ^^




だいたい意地をはる必要なんて、親子には一切ないんだから。




親子に必要なのは、愛情だけ。




親子に限らず、どんな関係であっても、人には誰にでも愛情が必要だよね。




尊敬とかそういったのもあるのかな。。






愛情あっての厳しさは、これは大切。




だってその子、いつかは親を頼らずに生きていかなきゃなんない。。。




親である私たちは、必ずいつかは先に死ぬ。




いつまでも親が食事を当たり前のように与えてても、子はそれを待ってしまい、




自分で狩ろうとはしない。それは子の死を意味する。




そうやってその子を甘やかすことは、同時に親がその子を手離せないことだから、




自分が手離せない理由の方に素直に向いたほうがいい。。。




親は子どもより弁がたつから、心が弱いとどんな嘘でも子どもについてしまう。




それでも自分以外の他人につく嘘はまだいい。。




本当に辛いのは自分についてしまう嘘。




それが自分に制限をかけてしまう一番の理由になってしまう。




そういうことを思いつつも、それでも自分に嘘をついてしまうことってある。




だけど最後はやっぱり自分にだけは素直でありたいと願う。





でないと、誰にもなにもしてあげられなくなる。







虐待のあのお父さんも、きっと子どものころに置き忘れてるなにかがあるのでしょうね。




たぶん子どもが大きくなってくればくるほど、今度は手離さなくなる方にいく。




さみしいだろうから。




だったらなおのこと無条件に抱いてあげればいい。。その子は寄ってくるようになる。




ほんのちょっとの心のタガを外し、取引沙汰を捨てるだけで誰もが幸せになれる。




口でいうほど簡単ではなく、とてもむずかしいけど。




むずかしいけど、幸せにはなりたいもの。